日曜日, 10月 26, 2008

CM

整髪料のCMのことを今頃になっても、まだうだうだ書いてる
ブログがあった。ウラシマでおばさんで流行に疎い私よりも
さらに遅いって(笑)
それに、ラジオでたっくんが実際に踊ったと言ったことを知って
いるのが、さらに笑える。何だかんだ言って気になって仕様が
なくて調べたらしい。
PCの前に座って、匿名で誰が書いたかもわからない記事を
読んだだけでCGだと決めつけて、「本当に踊ったなんて嘘
つくな」と書いていた。

でも、ラジオで言っただけじゃなくて、ライブのリハーサルの
時にバックダンサーたちの前でも踊って見せてるんだよね。
つまりプロのダンサーが複数目撃している。
「嘘つくな」なんて、ブログに書いちゃった人、そこまでリサー
チしてなかったんだね。
でも、こういう人って、嘘とか真実とか、口先で言ってるだけ
で、ちゃんと事実を知ろうとする気持ちなんか、ない。
例え真実が分かったとしても、聞かなかったふりをして、あく
まで自分の気に入った妄想を真実だと言い張るんだよね。

ネットでささっと読んだだけで、調査した気分になるのって、
危険だ。

もっと危険なのは、ネガティブな動機(他人のアラ探し)で
行動していると、精神が濁ってしまう。
周りの人から見ると病的なのに、自分だけ気がつかない。
前向きな考え方や、人を信頼する能力が失われていく。
自分自身にも、どんどん自信がなくなっていく。
(自分に自信がないからこそ、人を貶めたいと思う。)

他人の足元をすくうことしか考えずに、落ち度を指摘しては
「してやったり」と優越感に浸る・・・

ダメなんだよ! そんなことしたって、自分の実力は上がらない
し、人望も上がらないどころか失われていくだけ!
そんなことやっていたら、一生まともな仕事なんかできない。
やはり、何かを本気で一生懸命やっていない人、やった事の
ない人は、ダメだと思った。
                             

金曜日, 10月 24, 2008

もう一回テレビドラマ

            
テレビドラマというキーワードを書いた時、はじめは全然別の
ことを書くつもりだった。
「ドラマ」という言葉が、某国語にもあるかという話。

ほとんどの某国人が、日本のテレビドラマはDramen とは別だ
と言い、Dorama と、日本語発音をそのまま外来語として使う。
確かにDramen というと、シラーなどの文学を思い浮かべる。

一番日本のテレビドラマに近いものは、Telenovelle だと思う。
最近メディアで使われだした新語。もう一個、Fernsehserien と
いうのがある。両方とも、「連続テレビ小説」と訳していいと思う。
でも、毎週一回、3か月で終わる日本のドラマのようなものは
存在しない。

Telenovella という語が生まれたきっかけは、あるテレビドラマ。
おブスな女の子が、都会のイケメン(日本のとかなり違いまふ。
むちゃくちゃ整った顔と体形の代わりに毛深い)に一目ぼれ
して、彼の会社で働くというストーリー。ライバルの女性も登場、
玉の輿を狙って、主人公にいろいろと嫌がらせをしたり、卑怯
な手で出し抜こうとしたり。
脚本も演技も、日本のドラマの方がマシかな、というレベル。

でも、だからといって出演者が2流とみなされることはなく、
存在感があったり、視聴者の支持が集まる俳優には次の
チャンスがある。

それとは別に、映画畑でキャリアを積む俳優さんたちもいて、
その代表がフランカ・ポテンテやダニエル・ブリュールだ。
ティル・シュヴァイガーは賛否両論だったようだが、やはり
映画俳優として成功し、ハリウッド進出を図ったが、結局
戻ってきた様子。
マーク・ウォールバーグは、故郷のメディアではずいぶん
評判が悪かった。もともと歌手で、演技力が無い、カリスマ
もない、主演してるといっても猿の惑星みたいな映画で、
駄作だ云々。でも、今となって見ると、同郷の俳優の中では
彼が一番ハリウッドで名前が知られている。
もう一人、俳優ではなく若者向けの音楽番組の司会から
スタートしたハイケ・マカッチュが、ハリウッド映画でちょっと
だけ当たった。歌手でもあり、映画の中で英語で歌うシーン
が好評だった。

自国で演技派として認められている俳優がハリウッドで成功
するわけではないらしい。
                              

テレビドラマ

                  
テレビドラマを毎日のように見ている人たちがいる。今は女性に
人気のあるアイドル系俳優が多いから、視聴者層も女性が中心
になっている。
中井貴一さんが新しいドラマについて、今は人気者のドラマが
主流だけれど、これは俳優のドラマだ、と発言したそうな。

すいません、私、この人は親の七光りなうえに兄弟の下のほうが
芸能界では重宝されるという法則に乗っ取って、順調にキャリア
を積んだだけの人だと思うんですけど。いわば、俳優界のお貴
族様ですね。貴族にとって、卑賤なアイドル上がりの俳優たちが
活躍していることはお気に召さないのでしょう。
貧民なわたくしは、もうこれだけでこの人イヤになりました。
硬化した貴族階級が生み出すものには限界がある。

比べちゃいけないけど、阿部寛さん。彼はモデル出身で容姿に
は恵まれていたけど、それだけでは通用しないということを身を
持って体験して、今は立派な俳優さんです。両親は俳優では
なく、その意味では家系的にはサラブレッドとは言えません。
生まれつきの資質には恵まれていたけど、それがむしろ邪魔に
なる世界で立派に活躍されています。

そして、たっくん。家系は、ふっつ~のおうち。芸能界とは全く
関係ない。その意味では先祖運はゼロ。
生まれつきの容姿は良かったから、それだけは幸運だったけど、
同じように容姿の良いライバルがごまんといる場所で勝ち抜いて
きたんですね。
彼の事務所は業界では大手だけど、お貴族さま方だって業界
全体にしっかりした人脈が親の代からあるから、同じ条件だと思う。

それに、かの事務所の方針では、一人だけ飛びぬけた存在は
不要とのことで押さえが入る。売れているからと言って単純に
後押しだけしてもらえるところじゃない。日本アカデミーの辞退を
見てもわかる。
事務所内の抑え込みに加えて、彼は常に3流誌の標的になる。
それも、自分の落ち度だけではなく、事務所全体を貶めたい
連中から代表として貶められる。
こんな条件で、いまだに存在感を失っていないのは、彼の映像が
良いからだ。10年前の物でも新たに視聴者を獲得し続けている。
だいたい、山田作品に主演して、山崎豊子原作のドラマであんな
数字をあげている男優を、どうして演技力が無いと言えるのか、
そっちの方が不思議。

どう考えても、変だ。

木村拓哉が勢いを失うと、得をするのは誰か?
彼の事務所が勢いを失うと、得をするのは誰か?
                          

                        

土曜日, 10月 18, 2008

年にこだわりすぎる日本人

                 
帰国してすぐに気付かなかったけれど、次第にじわじわと感じる
ようになったことがある。それは・・・

なんで、みんな、年のことばっかり言うの?
それも、30代で、もうおばさんだ、おじさんだ、と言われたり自ら
言ったり。40代はどうなるんじゃ!!

私が滞在していた某国では、30代といえば、一番活発でセクシー
な年代だ。テレビドラマの主人公は、恋愛物の場合ほとんどが30代。
40代50代の恋愛模様を描いたドラマもよく見たし、恋愛がテーマで
なければ40代以上の登場人物が圧倒的に多かった。脇役にしても
日本のドラマみたいに、添え物みたいに出てくるのではなく、主人公
の住む世界をリアルに、はっきりとした個性を出して演じていた。
人生の脇役という感じは微塵もない、しっかりとドラマの世界に住んで
いる人たちばかりだった。
現実の生活でも、「年甲斐もなく・・・」というようなことを口にするのは
50歳前後からだ。

日本は、平均寿命が50歳にも満たなかった頃のまま、人々の意識
が変わってないんじゃないだろうか。
高齢化社会が叫ばれて久しいのに、なぜ30歳で老け込んでしまわ
なくてはいけないのだろう。残りの40年どうするんだろう。
今20代から下の人たちは、あと10年足らずで「老ける」覚悟がある
のだろうか。

長い目で見た人生設計というと、お金のことしか考えない人ばかり。
十分なお金があっても、何をして生きていったらいいのか考えて
いない人が多い。
老後にあれがしたいこれがしたい、と楽しみにしている人もいるが、
現在の仕事を老後につなげていく人はいない。
はじめから、寿命の尽きるまでの長い年月をフルに使って計画を
立てる人はいない。
そういうのを夢って言うんじゃないのかな。
             

金曜日, 10月 17, 2008

風邪かな?

              
ここ2、3日、左の肋骨の一番下のあたりが痛かった。
右が痛むこともある。年に2、3回は痛くなる。
軽い痛みは、もっと頻繁に起こり、その日のうちに消えて
しまう。

今回のは、強くてしつこい痛みだった。いつも痛くなる
場所が決まっている。
原因はわからない。骨の痛みではなくて、筋肉が痙攣
した時の痛みに似ている。

一番最初にこの痛みが出たのは、もうずっと前のことで、
前の勤め先で高熱を出した時。勤務中に急激に熱が出て
しまい、仕方なく時間中に会社の近くの内科へ行かせて
もらった。内科の先生に、変な痛みが肋骨の周りにあると
話したけれど、スルーされ、ただ解熱剤と思われる薬を
くれただけ。

その後、何でもない時に急にズキズキするようになった。
でも、はっきりと風邪を引いた時にはあまり痛まないし、
逆に痛い時に特に発熱などがあるわけではないから、
風邪と関連付けたことが無かった。痛み止めにバファリン
飲んで治したことが何回かあるが、風邪薬としてではなく
痛み止めだった。

今朝になって痛む場所が何となく熱を持っているような
気がして、風邪かもしれないと思い、水分を多めに取って
バファリン飲んで10時間以上眠ったら、治った。
               
結局何なのかよくわからない。
                              

木曜日, 10月 16, 2008

本屋とピアノ(とセキセイインコ)

                 
昨日、第二の最寄り駅まで出かけて行った。
最寄り駅がたくさんあるので、順番付けてるんだけど、
距離じゃなくてバスの便の順番につけてるので、第二
最寄り駅とはいっても、一番遠かったりする。

目的は雑誌をいくつか見て、テレビ誌を見て、占いの
本を買うこと。駅ビルの近くに大きな本屋が2軒ある。

そのうちの一軒では、いつも音楽が流れている。
いつもピアノ曲。曲名はわからない。練習曲なのかな?
速いテンポの難しそうなのが多い。
でも、不思議と聴き入ってしまう。綺麗な音で綺麗な弾き
方で・・・
でも、普段私はピアノやバイオリンは聞いてても退屈して
しまうほうだ。これ以上ないと言うほど美しい音のプロのCD
聞いていて、そんな状態だから、それがなぜ、一番退屈
そうな練習曲風のピアノに聴き入ってしまうのか・・・

あまり有名な曲は聞いたことが無かったが、昨日は「展覧会
の絵」がかかった。
この曲は、昔アマチュアオケでやったことがあるので、聴き
入る曲の一つ。
アマチュアだから、数回のリハでもう演奏会などという芸当は
できないから、半年かけて練習する。だから一度演奏会で
弾いた曲は、総譜に近い形で記憶に入っているようだ。
耳の傍で何度も鳴り響いたいろんなメロディーが自然に
頭の中で鳴り出す。
「展覧会の絵」は、ピアノだけど聞いているとオケの音が聞こ
えてくる。ピアノがオリジナルなのに、聴きながら「ああ、ここ、
オケっぽく上手く表現してるな」などと思ってしまう。
本末転倒。

その「展覧会の絵」を聞いていて、気がついた。
ボリュームが平坦になっていた。最大の音量はミュートが
かかったように柔らかく、最小の音量ははっきり聞こえる
ようになっていた。
それでも十分、強弱がはっきりして、情感がこもっている。
速いパッセージの連続を、ひたすら弾き続ける音が、何か
に似ている・・・
ひたすら・・・歌い続ける・・・
セキセイインコ・・・・

さえずりモードに入って、じっとしたままグジュグジュ
キュルキュル複雑な鳴き方をずーっと続けている
セキセイインコを連想した。
                  

月曜日, 10月 13, 2008

ハレとケ

        
何年か前に見たフランスのテレビドラマを思い出した。
日本語のハレとケの話だと思った。
作り手はそんなこと考えていなかったと思う。物語の要は
中年男性の隠れた同性愛で、それを開放するのか抑圧
するのかというテーマだった。

タイトルも出演者も監督も何にも覚えてない。というか、
知ろうともしなかった。
場所はたぶんパリ。フランスにはパリ以外の都会はない
のだと思う。
新宿界隈のような、怪しげだが賑やかなエンタメの中心
地で、見るからに普通の、真面目さと庶民性で塗り固めた
ような30代くらいの夫婦が、小さなバーでショーを見る。
安っぽい、けばけばしいショーだが、平凡な日常には
ないキラキラした輝きがあり、ところどころ夢の世界らしく
美しい。
その夢の一番綺麗な部分は、17,8歳の男の子。少年期
から抜け出して間もない青年で、金髪の美形。売り出して
間もない頃のジェイミー・オリバーに似ている。
彼がショーの中で女装しているのがとても綺麗で可愛ら
しく、夫婦はすっかり魅せられる。
画面は切り替わり、夫婦が翌日から仕事をしている風景が
映し出される。クリーニング店。非常に忙しくて休憩もろく
にとれず、二人はただ働き続ける。深夜まで働いて寝る
だけの毎日。
ある夜、ショーの女装の青年が店に転がり込んでくる。
夫婦は困っている彼をしばらく泊めることにする。
青年が入ってきてすぐ、夫婦二人とも彼の存在に心が
浮き立ち始める。着替えの時に無頓着にドアを閉めも
しないで全裸になってしまったり、半裸でソファで眠った
りするが、綺麗なので夫までが見とれる始末。言動も
オープンでハレの感覚をそのまま持ち込んできたような
感じで、ひたすら働くケの毎日に埋もれた夫婦には新鮮
に映る。
青年は怠け者ではなく、店の手伝いをさせるとそつなく
こなし、物覚えもいい、客の受けはいい、で、夫は自分の
後継者にどうかと言いだす。
実は本心は青年に恋しているのだが、それがどうしても
自分で認められない。夫婦に子が無く、妻が孤独感に
苦しんでいるのは彼が異性に興味がないからだということ
が、青年との交流を通じて少しずつ明かされていく。
妻は青年との情事に身を委ね、いろんな抑圧から自分を
開放するが、夫はあと少しのところで抑圧へと逃げ帰り、
反動から青年を殴ってしまい、運悪く死なせてしまう。
もとの安泰な抑圧の人生にしがみついてしまった夫は、
一家の柱という仮面、頼れる働き手という世間体を守る
ために、青年の死体を隠してしまう。
最後に、何事もなかったかのように通りを闊歩する夫と、
その3歩後ろを戸惑ったように歩く妻が映る。

ハレとケは、非日常的な特別なお祭りと日常という意味
だが、もしかしたら慣習や倫理によって抑圧された本心
のことをハレというのかもしれない。
社会的に期待される役割(アイデンティティとかジェンダー
とか)に、どうしても合わせきれない部分(これが本当の
意味での個性なのかも)が出てきてしまった場合の絵が、
解釈によって天国と地獄に分かれる。
常識や世間体 vs 常識の枠からはみ出す個性 という
白か黒かの対立でしか捉えられないと、常識サイドから
見たハレ的個性ののさばる世界はソドムとゴモラ、背徳の
堕落した世界。反対に個性重視のサイドから見ると、少し
でも規格からはみ出す個性を容赦なく潰していく世界は
全体主義、ナチス的な悪夢の世界。

今のところ世界的傾向は、個性重視の反ナチスだが、
日本社会では個性が嫌われる傾向が昔と変わらない。
何が嫌いなのかよく聞いてみると、うぬぼれた態度とか
なまいきな態度などの、細かい末端の自己表現を嫌って
いる人が多い。その人の個人的な好き嫌いに過ぎない
のに、それだけを理由に嫌いな人間を排斥したり侮辱
したりしても良い、むしろその失礼で間違った行為に
よって「自分の主張をした」と誇りさえする人が多い。
謙虚な態度のほうが好感は持てる、それは確かだけど、
謙虚さを他人に要求する態度と、自分が謙虚に振る舞う
のとは、正反対なんだけど…

あ、「真逆」という単語は、まだ馴染みがないので使いま
せん。

自分自身が謙虚になるよう努めていた場合、他人がそれ
をしないからといって怒るのは、間違いだ。人に向かって
「何偉そうにしてるんだ、引っ込め!」と言うのが謙虚さだ
とは誰も言うまい。
そして、自分が謙虚なのはいいが、謙虚に見えない人間と
まともに向き合わないのも、謙虚の仮面をまとった傲慢だと
思う。
だから、日本人の好きな「いい人」「謙虚な人」には、胡散
臭いものを感じる。
                     

火曜日, 10月 07, 2008

緒方拳さん、加瀬大周さん

                 
投稿が止まらない。
でも一番書きたかった白昼夢が出てこなくなっちゃった。

緒方拳さんが亡くなったというニュースにびっくり。
71歳とのこと。武士の一文の時は、軽やかな身のこなし
で、とてもそんな御年には見えなかったのに・・・

同時に、加瀬大周さんが麻薬所持で逮捕の報。
あんなに人気のあった人が・・・
演技力が無かったと書いてる人もいるけど、一度所属
事務所と対立した芸能人はみんな仕事を干されてる
みたいだから、そのせいだと思う。台湾など日本の外で
は売れていたんだから、そうだろう。

それと、黒柳徹子さんの発言だそうだが、「いい男は人の
3倍努力しないと俳優としてやっていけない。周りの男性の
(業界人の)嫉妬を買うから。」
これ、真実です。イケてない男性の方が、支持されやすい。
女優さんは反対に、才能があっても、本当に綺麗な人に
比べ3倍苦労すると思う。

結局、演技力の評価なんて、そんなものさ。
もてない男は、さえないタイプの男優に共感して、性格は
いいとか、本当に男らしいとか褒め称える。
自己満足しているキモいオタクは、オタクっぽい男優に
共感して、天才だなどと、自分の願望を投影する。
               

内面と外見

以前よく見ていたテレビ番組に、心理相談ショーとでも
言ったらいいのか、実際のカウンセラーが登場し、その
先生の診療所で現実にあった事例を再現するというのが
あった。日本のテレビじゃありません。

カウンセリングといっても、お悩み相談に近い件が多く、
鬱病や神経症のような、治療を必要とする事例では
なかった。
青少年の恋愛相談も多く、その一つが印象に残っている。

ある十代の女の子。見るからにイケていない。
すごく大きなメガネをかけているが、パリス・ヒルトン
のサングラスや、たっくんの好きな黒ぶち眼鏡とは明ら
かに違う、どう見ても80年代に流行した古臭いメガネ。
服もお婆ちゃんの着るような地味なカーディガンで、
髪は手入れなしのパサパサで、せっかく金髪なのに、
なんか汚らしく見える。

その子と、同じ学校の男の子が相談室に来ている。
二人はペアではなく、片方が一人で来て、悩みを聞いて
から先生が相手を呼んだのだが、どっちが先に来たのか
は、見逃した。
とにかく先生の前に、時代錯誤な恰好の女子と、普通の
男の子が並んでいて、男の子は「なんでコイツがここに
?」という顔。しかし先生に促されて悩みを話しだす。
あるパーティーで、すごく綺麗な子と知り合ったけど、
どこの誰かわからない、小さな田舎町で知らない人間は
いないはずなのに、探しても見つからない。
女の子の方は、彼が美女探しとか言って、みっともない
大騒ぎをしている、やめてほしいと苦情。
喧嘩みたいになった時、女の子が突然、「ちょっと待
って」と言って、後ろ向きになってメイクを始める。
髪も結いあげ、カーディガンをおしゃれな上着に取り
換えると、目の覚めるような金髪美人に変身!
ここは再現の役者さんが、本当に見事に変身してくれて、
凄い説得力。
男の子の探していた見知らぬ美人とは、学校で毎日顔を
合わせていた「変な女」だった!! ショックを隠せない
男の子・・・
先生は女の子に「あなたのほうは彼が好きじゃないのね
?」と確認するが、彼女は「外見だけで付き合おうとする
のがいや」と答える。どうも、彼が好きだけど、自分の
外側が綺麗だからというだけでは嫌で、中身も受け入れて
ほしいらしい。
その時の先生の答えは・・・
「内面が大事、それは本当です。でも、人間は視覚の動物
です。情報を受け取るのに、まず視覚で受け取るように
生まれついている。内面が大事だからといって、生まれ
つきのものを否定するのは不可能。」

その番組ではそれしか言わなかったけど、ヒトは視覚から
相手の健康状態や精神状態を見てとる、という話はよく
聞く。
服装がその人の考え方や性格を表すというのも本当で、
常識的で清潔な格好をしている人を信頼できると判断する
し、だらしない格好をしたり、その場に合わせるだけの
気遣いのない人には、日ごろの行動も信頼できないのでは、
と思う。

上のテレビ番組の女の子は、若く健康で、その健康さを
証明する美しさを持っているのに、その「自分」を否定
し、隠していた。
自分を大事にできない、という人は、どこかに不健康な
部分がある。
自分に自信が無い、という状態は誰でも経験するので、
その程度なら不健康というほどには感じない。でも、それ
とは違う不自然さを感じる場合は、精神的に複雑な問題を
抱えているかもしれない。
その女の子の場合は、家庭がカトリックで、虚栄心を戒め
る古い考え方と、現代の普通の常識や倫理とのギャップを
祖父母や親がうまく調和させられなかった、と説明でき
る。

上の話は、私たちは、うわべだけを見て他人を判断する
傾向を持つが、それは本能的なもので、人間関係の中で
ある程度必要な傾向であり、外見を全く無視することは
できない、と言いたくて書いた。

でもそれは、「外見や癖などが不快だったら、不健康で
ある。だから排除してもいい」という意味ではない。

反対に、外見だけにこだわりすぎるのはもっと不健康だ
と思う。
服装や髪型がおかしいというだけで、他人を攻撃すると
いう行為は、特に危険。
ちょっとした癖など、格好以外の「外側」が気に入らない
場合も、批難していい理由にはならない。たとえば「腕
組みばかりして感じが悪い」と思う人間がいたとしても、
その一点だけでその人を判断するのは間違いだ。会社の
採用面接だったら落とす理由になるが、普通の生活の中で
面接みたいにここがマイナス、ここがプラス、などとやり
はじめたら、人間関係がギスギスになってしまう。

ほんの些細な欠点を捉えて、全人格的な評価をするのは
良くないことなのに、それを理由に「あんな人には何を
してもいい」と勘違いする連中が多いのは困ったもんだ。
仲間外れにする程度を超えた、ハラスメントの段階になる
と、外見や癖の変わった人が不健康なのではなく、執拗な
攻撃の方が病的とみなしていい。
こういう事例を見るとき、見た目が「変わっている」ことは、
たいして罪のない、ごく軽い不健康なのだ、と思う。
本当に深刻で性質が悪いのは、罪のない変わり者を、ここ
ぞとばかりに攻撃する人たちだ。

外見や他人に与える印象などの「外側」も、普段見えない
内面も、両方とも、ほったらかしにしてはいけない。
外側をマメに整える人たちも偉いと思うし、外見に惑わさ
れずに中身を大事にしようとする人たちも偉い。

ただ、どちらであろうと、他人のあり方を否定したり、あり
のままの性格を攻撃するのは、おかしい。自分が今より
少し素敵になりたくておしゃれをしたり、内面を磨こうと
する、そういう努力と、人を否定したり攻撃することは、
矛盾する。他人への攻撃は、内面の美しさを損ない、
醜くするものだ。

特定の人間を嫌って、いつでもぐじぐじと貶めるような
事ばかり書いている人のブログを読んで、一番感じること
は、「この文は、汚泥のようだ」。
嫌われている人ではない、嫌って書いてる当人の心が
とてつもなくドロドロなのだ。
こういう人のブログに行き当たるたびに、中世の魔女狩り
だな、と思う。僧侶は自分の心に起る性欲を自分の責任と
せず、それを引き起こす女を、悪魔だからそんな心を見る
者の心に起こすのだ、と責任転嫁した。
悪意という醜い感情が他ならぬ自分自身の心の一部なのに、
その自分の悪さを、自分が勝手に嫌っている人間にかぶせ
ようとする。自分が吐き出した汚泥を、他人に吐きかけて、
その人を汚いと言う。その汚泥は誰のものでもない、自分
のものなのに。

そんな人が、内面が大事、生まれつき持ってるものより
努力して得たものが大事、などと書いていると、
偽善者~
と思う。そんなヘドロを内面に抱えておいて、内面を磨く
って、何言ってんの!?

内面でも外面でも、自分みがきするのを理想だと思って
いる人たち、つまり一種の向上心の強い人たちは勘違い
してる人が多いと思う。
自分を磨くのは、自分が好きだから、ナルシストだから
である。自分が今よりも素敵で価値のある人間になりたい
から、自分磨きをするのであって、エゴイズムなのである。
健全なエゴイズムというのもあって、それは誰でも必要な
ものだ。素敵な自分になれば、周りの人たちに歓迎され、
喜んで貰える、そこまではいい。
でも、その一方で他人を貶め排除しようとするのなら、
そのエゴイズムは健全ではなく、悪いエゴだ。
自分を磨くのは、上から目線で他人を見下ろして傲然と
「あんたはダメ人間よ」と言うためではない。否、そう
なった時点で自分磨きは失敗である。

月曜日, 10月 06, 2008

自分を見た時

ブログのタグに木村さんの項目作った方がいいかな?
いつの間にか記事が多くなってる・・・

最初は、毎日というか、起きている間中漂っている白昼夢
の世界を書きとめようと思っていた。
ファンタジーというより、現実の出来事や人物が頭の中で
現実とは別のテーマに沿って動き始めるというのが多い。
そういう空想には、木村さんは出てこない。

でも、いざ書き始めてみると、カッコをつけてしまうのか、
いつもの妄想どおりに書けなくなってしまう。
書き出すんだけど、すぐに「こんなくだらないこと書いて
どうすんだ」と、嫌になってしまう。

現実の生活の中で生きづらいと感じている人間なので、
どうせ毎日空想の中へ逃避しているのなら、その世界を
文字という形にしてしまえばいいじゃないか、と思ったの
だが・・・ 
空想は、その場で霧のように消えてしまう。書き止めよう
と思ったら、ボイスレコーダを常時持っていないとだめだ
と思って、IPレコーダを買った。
でも録音された自分の声が好きになれない ○| ̄|_

自分を意識し過ぎるのかなぁ・・・ 頭の中の物語を無心
に追って語るというのができない。自分が馬鹿に思える
とか、自分の声が気に入らないとか、自分がどう見えるか
ばかりに気なってしまう。

今、書いていて思いついたんだけど、そう考えるとテレビ
や映画で自分を公衆の目にさらしている人たちは、偉い
なあ・・・
映像になった自分を好きとか嫌いとか言ってたら、つと
まらない。モニターを見る度に「この顔イヤ、撮り直して」
などと言ってられない。
元がカメラ向きの容姿や雰囲気を持った人たちなのだ
ろうけど、カメラの前でなるべく見栄えのいい自分を作ろ
うという努力をしているな、と感じる芸能人も多い。
毎日鏡やビデオなどで研究するような熱心な人がいるか 
どうかわからないけど、仕事の時、映像になった自分の
姿や声をチェックして、心の中で「この顔はNG、この顔
はOK」という程度の意識でも、日常行うのと行わない
のとでは、長い間には差になって出てくると思う。
カメラの前でだけではなく、日常の中でも、少しでも綺麗
に、少しでもカッコ良くなろうと努力している人がほとんど
だと思う。ある若い女性タレントさんが、足をまっすぐ
綺麗にするために整体に通ったとか、別の人は30過ぎて
歯列を矯正したとか、いろんな話を聞く。

そういう自分チェックと、自分の表情や動作の修正を
あまりしないのが、たっくんではないかと・・・
真相は分からない。たとえば、自分の映像チェックして
も、どこがどう良くて悪いのかわからないのかもしれない。
あるいは自分をそのまま受け止めているから、良く見せ
る必要も感じないし、カッコ悪く見せたり面白く演出する
のも、しないのかもしれない。理由は想像するしかない
が、現実として見てとれるのは、「たっくん、もう少し良い
印象を与えるように気を付けたほうがいいのに、何も
気にしていない・・・」

気にしないで自然にしているからこそ、時たまスマスマ
の歌のコーナーなどで、後ろの方に映り込んでいる時
思いがけないほど可愛かったり、面白かったりする。
どうも彼は歌って踊っている時が一番映りがいいようだ。
踊るのが本当に好きなんだろうな。コンサートでも見た
人たちが口を揃えて「キラキラしてる」と言う。

だからって、何もしないで自然のまま映っていればいい
とは思わない。日常のほんの些細な事でもマメに実行
して、少しでもカメラに耐える自分を保とうと心がけて
いる人たちのほうが、プロ意識が高いと思う。
見た目よりも内面だ、と言うけれど、でもカメラの前で
OKな自分を少しでも多くするためならどんなことでも
する、という情熱だけでも、内面の輝きになると思う。
             

土曜日, 10月 04, 2008

塩野七生は馬鹿だったのか

先入観や偏見を持たないって、言うのは簡単だが実行する
のは難しい。

最近目撃した一番ひどい偏見は、塩野七生さんのコメント。
黄色いペーパーバックの安っぽい本に収録されていた。
日本人の幼児化が嫌だ、という内容だが、その引合いに
木村さんを出していた。

幼児化が問題なのは、全く別の切り口で言及するべきだと
思う。
男性を例に出すより、女性の方が問題だ。もう何十年も前
から、日本ではロリコン傾向が問題視されている。元々
日本には、未熟な若い女を好む傾向が根強く、それが普遍
化しただけだ。男性向け漫画やアニメの世界には、体だけ
は立派な成人だけど顔や精神は幼児という女の子が多
い。多いっつーか、それしか出てこない。

そっちのほうが社会的にも良くない問題だと思うのに、
それには一言も触れずに、木村さんを貶める。
これは本当の批判を向けるべきところに向けていない
だけでなく、批判すべき男性読者層に媚びているという
点でも、卑怯だ。

そこまで考えずに、ただテレビでよく見かける顔が気に
入らないので書いたのであれば、そんな浅い思いつきを
公に書く行為が、文章を書いて生計立てている人とは
思えないほど、軽はずみだ。怪しげなカタカナの三流紙
と変わんないじゃないか。

ゲ○ダイだのサ○ゾーだのに貶め記事書いてる人と同じ
こと平気でやっちゃう人が書いたものって、サ○ゾー
レベルの内容なんじゃないの?

「日本人の幼児化が嫌い」と言いたいのなら、それだけ
書いたらいい。あるいは、最近多いタイプの男性アイ
ドル、と書けばいいじゃないか。特定の個人を名指し
で貶める必要など、どこにもない。
木村拓哉という人間でなくても、誰に対してでも許される
行為じゃない。
誹謗中傷は、特にそれがメディアを通じて行われた場合、
犯罪に近いものがある。貶められた当人ではなく、そんな
駄文を公に出す著者の人間性のほうに問題がある。

そんな基本的なところで間違った偏見に囚われている人
に、正しい人間理解ができるとは思えない。人間を理解
しない人に、良い小説が書けるわけがない。
       

馬 続き

         
お祭りの時などに軽馬車を曳く馬は、もう少し小さかった
と思う。そういう馬は、ポニーと大馬の中間くらいで、高さ
のわりに細い印象がある。
ちょっとした地域の祭りがあると馬が出てくる。最初の頃
は馬見たさに下宿から飛び出して行ったりしたが、しば
らくすると慣れてしまい、うちでテレビを見ながらパカ
パカという蹄の音を聞いていた。
何度か、例の大馬よりさらに太めな重輓馬が私の部屋の
すぐ横を通ったことがある。窓から見ていたので、その
大きさから、きっとすごい地響きがするだろうと思っていた
ら、それほどでもなかった。ズシンズシンという音ではなく、
やや低音だけどパコッパコッと馬らしい音がしていた。

クリスマスになるとどこの街でも行われるのがクリスマス・
マーケット。屋台だけではなく、隣接して移動遊園地が
できることもある。花屋敷のような、狭いところに詰め込
まれた遊園地である。そういうところには、メリー・ゴー
ランドもある。ただし、本物の馬が回っている。
ハフリンガーという、明るい茶色の体にクリーム色の尾と
たてがみの綺麗なポニーが、円を描いて歩いているのだ。
真中に鉄柱があり、回転する土台に差し込まれていて、
その鉄柱に手綱が結び付けられている。
本物のお馬さんのメリー・ゴーランド、というと、知らない
人は見たい乗りたいと思うが、実物を見ると考えが変わる。
普通のメリー・ゴーランドは色彩豊かで派手派手だが、
ハフリンガー・ゴーランドは、飾り気がなく質素・・・
はっきり言って手綱はヨレヨレの細い革ひも、馬具も使い
込まれていて綺麗ではない。しかも、馬たちは黙々と、
いつまでもいつまでも同じところを回っている。そのせい
か、眺めている人は多いけれど、子供を乗せている人は
少ない。

私自身の見聞した馬の話を並べてみたけど、結構多いな。
何せ馬があちこちにいたから。
インターネットのまち案内みたいなHPには「譲ります・
譲ってください」の欄があり、ペットのところに時々馬が
出ていたほどだ。
農家の中には、馬を預かって副収入にしている家もある
そうだ。街中でサラリーマンやってる人が、馬を買い、郊外
の農家に預けて、週末に乗馬を楽しみに来る。預かり料は
学生下宿の家賃と同じくらい。10年くらい前の広告では
一か月300ユーロ前後だった。
ちょっと郊外に出ると、馬のいる囲いがあちこちにあった
から、たぶんそういう預かり馬なのだろう。
                  

      
馬文化の中心地は欧州中部だった・・・

知らなかった。サラブレッドがイギリスだし、競馬で
有名なのはアメリカやオーストラリアだから、かつての
大英帝国が馬の先進国(?)だと思っていた。

でも、そう言われてみると、なるほど、と思う。
スパニッシェ・シューレってオーストリアにあるし、その
馬はハンガリーだかチェコだかで生産される。
競馬に限れば英語圏なのだろうが、馬の文化は競馬だけ
ではない。
何より、私は実際に滞在したことがあって、思い出して
みると、馬をよく見かけた。
生活の中に馬文化が根付いている、と言ってしまうと、
日本人の私はすぐに農耕馬を思い浮かべてしまうが、
欧州の馬文化はどちらかというと昔の貴族階級や、軍の
伝統に根ざしているようだ。
もちろん農耕馬もいた。古くはローマ時代にはすでに犂を
引かせるのに牛と並行して馬が使われていたという。
(ローマ時代の労働とかいう本を読んだことあんだよ悪いかよ

でもそれ以上に、馬が特別なものだった歴史の方が強い。
まず、神話に出てくる。次にアレクサンダー大王の伝説に
絡んで登場する。
ローマ時代には、映画にも出てくるように馬車競馬が盛ん
になり、軍にも騎馬隊がありで、支配階級の持ち物だった
ようだ。小プリニウスの手紙の中に、日課として馬車で
近所を乗り回したり、急ぐ時には乗馬で行くという記述が
ある(ちょっと読んだんだよ悪いかよ)。普通のローマ市民は、丁度
今の庶民が一家に一台車を持っているのと同じように、
ロバかラバを所有していたらしい。
中世になると、鎧で身を固めた騎士を乗せる巨大な馬が
出現する。中世の騎士にとって、城の外で歩いている
ところを見られるのは恥だったそうだから、馬がかなり
大事なものだったことは確かだ。女性も乗馬を普通に
していたようで、中世文学の中には女性に贈られた馬の
記述がある。

農耕馬や交通機関としての馬の需要が無くなったからと
いって、日本のように馬がすぐに消えてしまわなかった
のは、やはり馬が特別な存在だったからではないか。
現地での生活の中で、どのくらい馬と接点があったかと
いうと、かなり多かったと思う。それも、特に馬の産地と
いうわけでもない土地での話だ。

散歩コースの途中に小さな馬場があり、いつも2、3頭が
遊んでいた。現地の人はポニーだと言うが、日本でいう
ポニーとは全然違い、大きめ。頭を上げていると高さが
180センチくらいはあったし、姿も良くて綺麗だった。
ある日その馬場に、物凄く大きい茶色い馬のペアがいて、
今までのはほんと、ポニーだったんだ、と驚いた。
その大馬さんたちは、普段のポニーよりも人懐こく、柵
から首を突き出してこっちを見ていたが、なにせあまり
大きいので近寄れなかった。雌のほうはこっちが怖がって
いるのを見て警戒していたが、去勢馬のほうは愛想が
良すぎて、細い道の半分まで首を出していて、あくまで
コミュニケーションを取ろうという態勢。態度も穏やかで
優しそうだったんだけど、でも怖い・・・
結局ビビりながら片手を伸ばして鼻を一瞬触るのが
精一杯。帰りにまた通りかかったら、若いお姉ちゃんが
大馬2頭相手に怒鳴り声で「こらあ!」とか言って桶で
鼻をどやしていて、恐怖のあまり立ち竦んで眺めて
しまった。

その馬場は、小さい乗馬スクールのものだった。こんな
小さいのも含めて、ひとつの街に何箇所も乗馬学校が
ある。街中を歩いていると、乗馬用のブーツとヘルメット
をかぶった女の子たちが歩いているのを見かける(乗馬
を習っているのはなぜか女の子が多い)。

やはり散歩の時に、乗馬の練習中の人とすれ違うことも
あった。若い女の子の、いかにも練習ですという、ポクポク
歩かせているのはいいが、たまに体育会系のおじさんが
(おじさんっつてもビジュアルは180センチ超の目が覚め
るようなイケメンだったりする)飛ばして来ることがあった。
遠くから、映画でしか聞いたことが無いような「パカラッ、
パカラッ」という音が響いて来て、あれあれ?と戸惑って
いるうちに「危ないよー!」と叫ばれて脇へよけ、「すんま
せーん!」と叫びながら飛び過ぎて行くのを唖然と見送
ったりした。
そのおじさんは乗って走らせていたが、別のおじさんは
手綱を引いて並んで走っていた。しかも、ある少し古い
家の農家風のガレージの扉がばーん!と開いて飛び出
してくるという登場の仕方だった。
私などから見ると、すごくカッコいいのだが、一緒にいた
現地の女性には不評。「危ないわねえ」と文句を言ってた。
         

金曜日, 10月 03, 2008

やっぱり聞いてても…

     
抵抗感がある。スマさんたちの歌・・・

アレンジは良い、メロディーも良い、楽器演奏は最高、
だから聞けないことはないんだけど、歌が聞かせてくれ
ない。
こんなことは、向こうのTVでユーロヒットチャートを見て
いるときには一度もなかった。すごく変わった歌い方を
する歌手もいたけど、子供みたいな新人もいたけど、
聞いていて消したくなることはなかった。変な声なら変
なりに聞かせてくれたし、其々の持ち味で歌の世界に
引き込まれた。
プロモに録音されているのは、時間をかけた最良の出来
の歌だから当たり前なんだけど、今聴いているのも市販
のCDなんだよね。スマップもせめてCDは何ヶ月かかけて
作っていれば聞けるのかもしれないけど・・・

木村ソロだけは良いところがいっぱいあるんだけど、彼も
練習不足が目立つ。コンサートの間にどんどん良くなって
いるそうだけど、普通はその前に完成させるものじゃない
のかな・・・
惜しいなあ。いい歌い方するし、声も良いだけじゃなくて
人を惹き付ける声なのに。
        

木曜日, 10月 02, 2008

ストスマ

           
ハガキから。
「メンノンとポパイの写真がヤバかったので
裏話お願い」
メンノンの撮影は真夏の最高気温36℃の日、場所は
ガレージで体感温度が43℃(ハンパだけど測ったの
かい?)という場所で、秋冬物の撮影
・・・あ、あつ・・・
あったかい皮ジャンや、あったかいニットを着て汗もヤバい
・・・ふふふって笑ってるけど大変だなぁ

キャッチボールスマップは吾朗さんから。
「石川遼君と対談した件、羨ましい。どんな子だったか。
今度こそゴルフ行きましょう、迎えに来てくれる約束した
よね?」
石川プロが新聞で木村君からメール貰っていることを
話したらしいが、彼の方から(公的に?)言ったのには
驚いた。
・・・って、対談の時にカメラの前でメルアド交換してたじゃ
ない? それなのに隠したって意味ないと思うけど。

「あなたのためにできること」をかけてくれたけど、これに
限らずスマさんの曲はわたくし聞かない・・・
でも、吾朗さんの声は奇麗だな。テレビの時よりCDのほう
がずっといい声で、音量もある。
あれ?吾朗さんのソロだけで終わらせちゃった。
前もワッツで同じところで切っちゃったけど、自分の歌が
好きじゃないのかな。
この歌はハモリが草なぎさん。ハモリは奇麗だ。サビも
あるけど(なぜか吾朗さんのところには無くて拓ちゃんの
歌の途中に入る)ハモリだけのほうが良かったかも。歌
下手だもん・・・声質はいいんだけど、声量が無いせいか、
歌い方のせいかわからないけど、耳に快くない。音程だけ
はいいのかと思っていたら、数年前のビデオでトライアン
グル歌ってる映像見てがく然、下手すぎ!!
吾朗さんは、多少音量に不安があって歌い方に癖があって
も聞いていて心地よい。ハモリのところで綺麗に響きあって
いる。これはただ、綺麗。
拓ちゃんは心地よいレベルはひとまず終わった段階で、
奇麗な歌い方ではなく気持ちを込めて歌うから、時々
「かたち」がちょっと崩れるけど、それは表現というレベル
で聞いていられる。ハモリがここではよりハモリという感じ
で邪魔になってない。木村さんの声に生命力があるので
草なぎさんの声が単調な楽器風に聞こえ、音量差もあって
対照がはっきりしている。こちらのほうが吾朗さんの一番
より調和していると思う。
まとめると、一番は楽器のような綺麗さ、二番は生きてる
人間の歌。
             

四柱推命?

     
日本の占い(四柱推命とか、算命学とか)は、興味は
あるけど、詳しく学ぼうとは思わない。もう自分でやや
こしい本を根気よく読み説いて・・・という努力はつらい
年齢。
  今は生年月日を入力すると無料で計算してくれる占い
サイトがいっぱいあって、簡単に命式が出せるんだけど、
それを読むのまでやってくれるサイトはあまりない。

 四柱推命では、私は身弱といって、運勢のエネルギー
が弱いそうだ。逆に強いのは身旺という。
 どのくらい弱いか強いかは数値で表せる。0か+1が
普通の運勢で、-1、-2が身弱、+2、+3が身旺。
-3以下は極端に弱いという極弱、+4以上が極旺。
 
 私は-1だ。・・・これしかわからない。命式を見て
も、何が何だかさっぱり。解読しようとしたけど、無理。
 サンプルの占いを見てもいま一つ。流派が違うと読み
方も違うそうだから、あっちこっちを拾い読みするだけ
では混乱するだけなのかも。


 やっぱダメ、と諦めて西洋占星術に戻ろうとしたら、
見つけてしまった木村さんの鑑定! どれどれ(^^)

 芸能人をたくさん例に出してるサイトさん。木村さん
は何と、-4 !! 珍しいほどの極弱 !? 「芸能界では
珍しい」んですか…
 でも「ジャニーズには身弱が多い」。アイドルは儚げ
な印象があるということらしい。なら、いいじゃん。

 あれ…だけど、他のスマさんは… 
中居さん+5!! 草なぎさん+2、慎吾君 +6!!! 
慎吾ちゃんすごい!中居さんもすごく強い運勢なんだ。
吾朗さんは身弱-1、私と同じだ~♪
 う~ん この強い3人もアイドルらしいけどな…
 木村さんだけおもいっきり弱い運勢だけど、十二運て
いうところに人気運を表す「絶」があるから良いらしい。
 

 もう一個みっけ !!
 有名人の生年月日がズラリと出ているサイトがあった。
木村さんを入力したら、やっぱり-4 orz

でもそのあとジョニー・デップとかブラッド・ピット
とか海外の人も載っていて、面白くていろんな人の生年
月日を入力した。ちゃんと出てくる~(当り前か)
 そして、いましたいました!ハリウッドにも極弱が!
ジュリア・ロバーツと、アンジェリーナ・ジョリー!
この二人、拓ちゃんと同じ-4です。特にジュリアは
月齢も拓ちゃんと同じ。
 二人ともカリスマじゃないか~い(←流行病が)
 拓ちゃんもカリスマだもんね。 
     

水曜日, 10月 01, 2008

セキセイ

 今は飼ってないけど、昔セキセイインコを、多い時は
七羽まで飼っていた。巣びきも三,四回したかな。

 セキセイは何を考えているのか良くわからない。人間で
いうと、変なやつ。ワケわからんリアクションするやつ。

 うちで飼ってたのは、みんなあまり手間をかけなかった
せいか、鳥らしさが強く、怖がりだったので、賢そうに
見える子が多かった。でも何羽かは目の前でかなり
リラックスして、頭をぶんぶん振りまわしたり、何だか
良く分からないダンスのような輪を描いてうろうろ走り
回ったり、眼鏡の上に止まって逆さに覗き込んできたり、
いろいろと理解できない行動を見せてくれた。
 頭ぶんぶんは、ヘッドバンギングという行為に似ている
らしい。

 以前テレビで、本物の獣医さんの診療所に来る動物を
毎週放送する番組があった。診察の様子を見ながら、
病気やけがの説明を聞いて、治療法や正しい飼い方を
教えてもらえるという、良い番組だった。
 患者の動物たちの様子も、あまり怯えている子はいなくて、
ちょっと怖いけどママ/パパがいい子にしてなさいって言う
から…という感じに見えて、可愛かった。
 セキセイも登場。手乗りで、放鳥の時、いつの間にか
翼を骨折していて、折れた個所がゆがんだまま治って
しまい、もう飛べないとの診断。一家で来ていた飼い主
さんたちビックリしていた。獣医さんが何でもない事の
ように、雛が巣立つ頃、飛び方がまだ下手で、いろんな
ところにぶつかっては落ちるというお年頃のときに多い
事故と説明。本人はもう痛くないし、少し飛び上がること
はできるから、普通に暮らしていける、とも説明。
 何でもないのならいいけど…本人はというと、獣医さんに
握られるとギャアギャアギャアと叫び、放してもらった
瞬間にピュルッ!とごきげんな鳴き声を発し、また捕まると
ギャアギャアギャア、放されるとピュルッ!・・・何度か繰り
返していた。なんか、コントみたいだった。
            

演技って何

  
ブログめぐりの時、木村さんの演技力にケチつけてる人の
日記に行きあたってしまった。その人の意見では、「自分
を消せる」俳優が良い俳優なんだとか。
つまり役の人物になりきるという意味らしい。

でも、去年か一昨年か忘れたけど、あるハリウッドの男優
がインタビューで反対のことを言っていた。その人は、
実在の人物の伝記映画で主役を演じたんだけど、「どん
なにこの人物になりきって演じても、それはモノマネを
している僕という人間でしかない」という意味のことを
言っていた。完全に別の人格になるなんて、昔流行った
二重人格じゃあるまいし、できるわけがない。

別のブログでは、香港か台湾の人だと思うが、見事な
日本語で木村さんを弁護している。
演技には大きな二つの流派(?)があり、ひとつはドイツ
などで行われている「自分の他にもう一人の自分を作る」
という考え方。現実の自分とは完全に別人を演じるという
やり方。
もう一つはハリウッドのやり方で、「自分を役柄に近づけ
ていく」演じ方。こちらは現実の生活の中でのしぐさや話し
方などをそのまま持ち込んで、自然でリアリティーのある
演技を目指す。・・・そうです。

さて、一番目の演技の考え方をさらに推し進めた形が
古代ギリシアの演劇じゃないかと思う。演技の型が
決まっていて、感情や意志の表現が個人の自由で
できない。日本で言うと歌舞伎だろうか。
この方法だと個性が認められない。

でも、現代の映画やドラマは例外を除いて、登場人物の
個性が重要な役割を果たす。アイデンティティやモラル
など個性とは別の共通部分をしっかり設定するのはもち
ろんだが、しかし観客の心をつかむのに非常に大きな
役割を果たすのは、その人だけの独特の癖だとか、
嗜好などの、個性の部分だ。
刑事コロンボが大人気だったのは、ヨレヨレのコートや
独特の目つきがあったからで、単に暖かい心の刑事と
いうだけでは印象に残らなかっただろう。

もし、ある俳優が、全く素顔を感じさせずに演じたと
したら、その演技は俳優の本物の感情表現ではなく、
フリ、モノマネである。笑い方のような無意識の表情
までを意識的に作ったら、それはフリでしかない。
               

スマスマ

     
タカさんが木村君を襲った。



   爆笑



すごいタイミング良くぶっちゅーって、直後の
木村さんの笑ったまま固まってる様子がまた
可笑しかった ブハハハ

あとの部分は見てない。今週は見られなかったから
人さまの録画にお世話になったが、全部の録画は
見せてもらえなかった。

今、スマップのコンサートがやってるけど、私は
見に行くほどのファンではない。
でも、行った人のレポを読むのは好き。みんな
幸せいっぱいな、ほんとにいい文章を書いてる。
何十人ものブログを読んだので、いろんな文章を
読んだ。後半は木村ファンブログに限定して。
他のメンバーのファンは批判も書くし、自分の
好きなメンバー以外を貶めたりするから。(木村
ファンの中にもたまにいるが、ほんとにたま~に
しかいない。)大多数は、ただただ感謝、元気を
ありがとう、と書いていたり、木村さん大好きと
しか書いていなかったり、木村さん以外の人も
良かったと書いていたり、いろいろだけど、
不愉快になるようなことは書いてない。

あ、でも、トロッコに亀梨君が乗せてもらったのに
文句を書いてる人が数人いた。理由は「拓哉が
よく見えない」(笑)

コンサートでの木村君は「ネ申」だそうだ。
今回のコンサートは木村ファンが皆満足している
が、少し前までは彼の容貌に文句を言う人が
けっこういた。サーフィン好きなのはいいが、
日焼け止めを塗らず、直射日光を真夏の海で
浴びまくるという暴挙をこの夏ずっとやっていた
らしい。カメラマンが「あ・・・」とカオナシみたいな
声で驚くほど黒かったという。

彼は海に浸かると自分を取り戻すというけど、
つまり撮影の仕事がそれだけストレスということ?
大スクリーンに大写しになる俳優さんが、紫外線に
やられて老化の目立つ肌だったら困るんじゃない
の?
等々、優等生のわたくしは文句を言う。俳優として
生きてゆく覚悟ができていない、海で肌を台無しに
する時間があったら映画を一本余分に撮るべきだ、
演技力をつけるために場数を踏もうという気持ちが
ないのか 云々かんぬん

でも一方では、
勉強家で努力家の優等生が面白い俳優になるのかな?
海で現実の自然を味わい、現実のサーフィン友達と
交流するほうが、撮影現場という架空の人工的な
空間だけで生活するよりも、生きた生身の人間を
演じられるのではないか?
とも思う。

でもやっぱりお肌の老化はまずいと思う。