土曜日, 10月 04, 2008

      
馬文化の中心地は欧州中部だった・・・

知らなかった。サラブレッドがイギリスだし、競馬で
有名なのはアメリカやオーストラリアだから、かつての
大英帝国が馬の先進国(?)だと思っていた。

でも、そう言われてみると、なるほど、と思う。
スパニッシェ・シューレってオーストリアにあるし、その
馬はハンガリーだかチェコだかで生産される。
競馬に限れば英語圏なのだろうが、馬の文化は競馬だけ
ではない。
何より、私は実際に滞在したことがあって、思い出して
みると、馬をよく見かけた。
生活の中に馬文化が根付いている、と言ってしまうと、
日本人の私はすぐに農耕馬を思い浮かべてしまうが、
欧州の馬文化はどちらかというと昔の貴族階級や、軍の
伝統に根ざしているようだ。
もちろん農耕馬もいた。古くはローマ時代にはすでに犂を
引かせるのに牛と並行して馬が使われていたという。
(ローマ時代の労働とかいう本を読んだことあんだよ悪いかよ

でもそれ以上に、馬が特別なものだった歴史の方が強い。
まず、神話に出てくる。次にアレクサンダー大王の伝説に
絡んで登場する。
ローマ時代には、映画にも出てくるように馬車競馬が盛ん
になり、軍にも騎馬隊がありで、支配階級の持ち物だった
ようだ。小プリニウスの手紙の中に、日課として馬車で
近所を乗り回したり、急ぐ時には乗馬で行くという記述が
ある(ちょっと読んだんだよ悪いかよ)。普通のローマ市民は、丁度
今の庶民が一家に一台車を持っているのと同じように、
ロバかラバを所有していたらしい。
中世になると、鎧で身を固めた騎士を乗せる巨大な馬が
出現する。中世の騎士にとって、城の外で歩いている
ところを見られるのは恥だったそうだから、馬がかなり
大事なものだったことは確かだ。女性も乗馬を普通に
していたようで、中世文学の中には女性に贈られた馬の
記述がある。

農耕馬や交通機関としての馬の需要が無くなったからと
いって、日本のように馬がすぐに消えてしまわなかった
のは、やはり馬が特別な存在だったからではないか。
現地での生活の中で、どのくらい馬と接点があったかと
いうと、かなり多かったと思う。それも、特に馬の産地と
いうわけでもない土地での話だ。

散歩コースの途中に小さな馬場があり、いつも2、3頭が
遊んでいた。現地の人はポニーだと言うが、日本でいう
ポニーとは全然違い、大きめ。頭を上げていると高さが
180センチくらいはあったし、姿も良くて綺麗だった。
ある日その馬場に、物凄く大きい茶色い馬のペアがいて、
今までのはほんと、ポニーだったんだ、と驚いた。
その大馬さんたちは、普段のポニーよりも人懐こく、柵
から首を突き出してこっちを見ていたが、なにせあまり
大きいので近寄れなかった。雌のほうはこっちが怖がって
いるのを見て警戒していたが、去勢馬のほうは愛想が
良すぎて、細い道の半分まで首を出していて、あくまで
コミュニケーションを取ろうという態勢。態度も穏やかで
優しそうだったんだけど、でも怖い・・・
結局ビビりながら片手を伸ばして鼻を一瞬触るのが
精一杯。帰りにまた通りかかったら、若いお姉ちゃんが
大馬2頭相手に怒鳴り声で「こらあ!」とか言って桶で
鼻をどやしていて、恐怖のあまり立ち竦んで眺めて
しまった。

その馬場は、小さい乗馬スクールのものだった。こんな
小さいのも含めて、ひとつの街に何箇所も乗馬学校が
ある。街中を歩いていると、乗馬用のブーツとヘルメット
をかぶった女の子たちが歩いているのを見かける(乗馬
を習っているのはなぜか女の子が多い)。

やはり散歩の時に、乗馬の練習中の人とすれ違うことも
あった。若い女の子の、いかにも練習ですという、ポクポク
歩かせているのはいいが、たまに体育会系のおじさんが
(おじさんっつてもビジュアルは180センチ超の目が覚め
るようなイケメンだったりする)飛ばして来ることがあった。
遠くから、映画でしか聞いたことが無いような「パカラッ、
パカラッ」という音が響いて来て、あれあれ?と戸惑って
いるうちに「危ないよー!」と叫ばれて脇へよけ、「すんま
せーん!」と叫びながら飛び過ぎて行くのを唖然と見送
ったりした。
そのおじさんは乗って走らせていたが、別のおじさんは
手綱を引いて並んで走っていた。しかも、ある少し古い
家の農家風のガレージの扉がばーん!と開いて飛び出
してくるという登場の仕方だった。
私などから見ると、すごくカッコいいのだが、一緒にいた
現地の女性には不評。「危ないわねえ」と文句を言ってた。