月曜日, 10月 06, 2008

自分を見た時

ブログのタグに木村さんの項目作った方がいいかな?
いつの間にか記事が多くなってる・・・

最初は、毎日というか、起きている間中漂っている白昼夢
の世界を書きとめようと思っていた。
ファンタジーというより、現実の出来事や人物が頭の中で
現実とは別のテーマに沿って動き始めるというのが多い。
そういう空想には、木村さんは出てこない。

でも、いざ書き始めてみると、カッコをつけてしまうのか、
いつもの妄想どおりに書けなくなってしまう。
書き出すんだけど、すぐに「こんなくだらないこと書いて
どうすんだ」と、嫌になってしまう。

現実の生活の中で生きづらいと感じている人間なので、
どうせ毎日空想の中へ逃避しているのなら、その世界を
文字という形にしてしまえばいいじゃないか、と思ったの
だが・・・ 
空想は、その場で霧のように消えてしまう。書き止めよう
と思ったら、ボイスレコーダを常時持っていないとだめだ
と思って、IPレコーダを買った。
でも録音された自分の声が好きになれない ○| ̄|_

自分を意識し過ぎるのかなぁ・・・ 頭の中の物語を無心
に追って語るというのができない。自分が馬鹿に思える
とか、自分の声が気に入らないとか、自分がどう見えるか
ばかりに気なってしまう。

今、書いていて思いついたんだけど、そう考えるとテレビ
や映画で自分を公衆の目にさらしている人たちは、偉い
なあ・・・
映像になった自分を好きとか嫌いとか言ってたら、つと
まらない。モニターを見る度に「この顔イヤ、撮り直して」
などと言ってられない。
元がカメラ向きの容姿や雰囲気を持った人たちなのだ
ろうけど、カメラの前でなるべく見栄えのいい自分を作ろ
うという努力をしているな、と感じる芸能人も多い。
毎日鏡やビデオなどで研究するような熱心な人がいるか 
どうかわからないけど、仕事の時、映像になった自分の
姿や声をチェックして、心の中で「この顔はNG、この顔
はOK」という程度の意識でも、日常行うのと行わない
のとでは、長い間には差になって出てくると思う。
カメラの前でだけではなく、日常の中でも、少しでも綺麗
に、少しでもカッコ良くなろうと努力している人がほとんど
だと思う。ある若い女性タレントさんが、足をまっすぐ
綺麗にするために整体に通ったとか、別の人は30過ぎて
歯列を矯正したとか、いろんな話を聞く。

そういう自分チェックと、自分の表情や動作の修正を
あまりしないのが、たっくんではないかと・・・
真相は分からない。たとえば、自分の映像チェックして
も、どこがどう良くて悪いのかわからないのかもしれない。
あるいは自分をそのまま受け止めているから、良く見せ
る必要も感じないし、カッコ悪く見せたり面白く演出する
のも、しないのかもしれない。理由は想像するしかない
が、現実として見てとれるのは、「たっくん、もう少し良い
印象を与えるように気を付けたほうがいいのに、何も
気にしていない・・・」

気にしないで自然にしているからこそ、時たまスマスマ
の歌のコーナーなどで、後ろの方に映り込んでいる時
思いがけないほど可愛かったり、面白かったりする。
どうも彼は歌って踊っている時が一番映りがいいようだ。
踊るのが本当に好きなんだろうな。コンサートでも見た
人たちが口を揃えて「キラキラしてる」と言う。

だからって、何もしないで自然のまま映っていればいい
とは思わない。日常のほんの些細な事でもマメに実行
して、少しでもカメラに耐える自分を保とうと心がけて
いる人たちのほうが、プロ意識が高いと思う。
見た目よりも内面だ、と言うけれど、でもカメラの前で
OKな自分を少しでも多くするためならどんなことでも
する、という情熱だけでも、内面の輝きになると思う。