水曜日, 10月 01, 2008

演技って何

  
ブログめぐりの時、木村さんの演技力にケチつけてる人の
日記に行きあたってしまった。その人の意見では、「自分
を消せる」俳優が良い俳優なんだとか。
つまり役の人物になりきるという意味らしい。

でも、去年か一昨年か忘れたけど、あるハリウッドの男優
がインタビューで反対のことを言っていた。その人は、
実在の人物の伝記映画で主役を演じたんだけど、「どん
なにこの人物になりきって演じても、それはモノマネを
している僕という人間でしかない」という意味のことを
言っていた。完全に別の人格になるなんて、昔流行った
二重人格じゃあるまいし、できるわけがない。

別のブログでは、香港か台湾の人だと思うが、見事な
日本語で木村さんを弁護している。
演技には大きな二つの流派(?)があり、ひとつはドイツ
などで行われている「自分の他にもう一人の自分を作る」
という考え方。現実の自分とは完全に別人を演じるという
やり方。
もう一つはハリウッドのやり方で、「自分を役柄に近づけ
ていく」演じ方。こちらは現実の生活の中でのしぐさや話し
方などをそのまま持ち込んで、自然でリアリティーのある
演技を目指す。・・・そうです。

さて、一番目の演技の考え方をさらに推し進めた形が
古代ギリシアの演劇じゃないかと思う。演技の型が
決まっていて、感情や意志の表現が個人の自由で
できない。日本で言うと歌舞伎だろうか。
この方法だと個性が認められない。

でも、現代の映画やドラマは例外を除いて、登場人物の
個性が重要な役割を果たす。アイデンティティやモラル
など個性とは別の共通部分をしっかり設定するのはもち
ろんだが、しかし観客の心をつかむのに非常に大きな
役割を果たすのは、その人だけの独特の癖だとか、
嗜好などの、個性の部分だ。
刑事コロンボが大人気だったのは、ヨレヨレのコートや
独特の目つきがあったからで、単に暖かい心の刑事と
いうだけでは印象に残らなかっただろう。

もし、ある俳優が、全く素顔を感じさせずに演じたと
したら、その演技は俳優の本物の感情表現ではなく、
フリ、モノマネである。笑い方のような無意識の表情
までを意識的に作ったら、それはフリでしかない。